こんにちは、Ponmigo(ポンミーゴ)です。
今回は「マンボ(Mambo)の王様」と呼ばれている人物について紹介します。
マンボとは?簡単に説明
「マンボの王様」と呼ばれている人物について紹介する前に、マンボとはどんな音楽なのかということについて簡単に紹介しますね。
マンボ(Mambo)とは1940年にキューバで生まれた、音楽とダンスのジャンルです。
また、マンボは、アフリカの音楽とジャズ、ラテンアメリカの様々な音楽リズムの特徴を併せ持つと言われています。
このキューバの音楽は社交ラテンダンス界やサルサ愛好家の間でとても人気があるジャンルでもあります。
では、「マンボの王様」を見ていきましょう。
「マンボの王様」とは一体誰?
結論から言うと、「マンボの王様」と呼ばれている人物は、ダマソ・ペレス・プラド(Dámaso Pérez Prado)です。
彼は、キューバのバンドリーダーであり、作曲家であり、指揮者であり、ピアニストでした。
ペレスは1916年、キューバのマタンサス(Matanzas)に生まれ、1989年にメキシコの首都で亡くなりましたが、このジャンルを世界に広めたことから「マンボの王様」と呼ばれています。
ペレスの生涯
次にペレスの障害についてみていきましょう。
彼は新聞記者の父親と、教師の母の元に生まれました。
ペレスは、幼少時からクラシックピアノを学び、後に地元のクラブ等でピアノやオルガンを演奏していました。その当時、すでに音楽に対する素晴らしい才能と愛情を示していたそうです。
ピアノとオルガンを学んだ後、彼はキューバのハバナに移り、1940年代のキューバを代表するグループ、オルケスタ・カジノ・デ・ラ・プラヤ(Orquesta Casino de la Playa)とコラボレーションを始めました。
そして、ペレスは、1940年代にキューバで、1950年代にメキシコで、マンボの普及に貢献しました。ちなみに、ペレスは1948年にメキシコシティへ移住しました。
そこでペレス・プラド楽団を結成、メキシコにおいて着実な実績と人気を得ました。
ペレスのマンボへの貢献
マンボは、ロペス(López)兄弟によって考案されたと言われています。
ですが、マンボを国際的に普及させたのは、紛れもなくペレスでした。ペレスは、マンボを国際的に広めた人物であるだけでなく、マンボの代表的存在でもありました。
そこで先述したように、自分のオーケストラを結成し、世界各地を回る映画に次々と出演するようになりました。合計で、122本の映画に出演し、一部は俳優、一部は編曲家、一部は作曲家として活躍しました。
ペレスの代表曲
ペレスの代表曲、もしくはヒット曲といえば、マンボ・No. 5(Mambo No. 5)が挙げられます。
さらに、1999年にルー・ベガ(Lou Bega)が演奏したバージョンも有名です。
詳しくは以下の記事で紹介しています。
まとめ
いかがでしたか?
ペレスはマンボの生みの親ではないものの、マンボを世界に広げることに貢献した人物だといえますね。
また、マンボはサルサやチャチャチャの原型や基礎となっていることから、ペレスの貢献がなければ、今、サルサやチャチャチャはこれほど有名ではないかもしれませんね。


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