「コリードの王様」って誰!? 彼の生涯についても合わせて紹介してみた!

Corrido コリード(Corrido)
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こんにちは、Ponmigo(ポンミーゴ)です。

今回は「コリードの王様(El Rey Del Corrido)」と呼ばれている(呼ばれていた)人物について紹介します。

 

「コリードの王様」と呼ばれている人物は誰?

結論からいうと、「コリードの王様(El Rey Del Corrido)」と呼ばれている人物はチャリーノ・サンチェス(Chalino Sánchez)で、今日のようなメキシコの地方ジャンルを形成するのに貢献した人物のひとりであるといえます。

彼の本名はロサリーノ・サンチェス・フェリックス(Rosalino Sánchez Félix)ですが、ロサリーノという名前では女々しすぎるということで、「チャリーノ(Chalino)」に改名することにしたようです。

 

チャリーノはメキシコのシンガーソングライターであり、ナルココリード(Narcocorrido)を歌うことで有名でした。

 

実際に、彼の歌は、19世紀のメキシコ北部を舞台にした実話に基づく殺人事件や麻薬カルテルの活動がほとんどであったことでも有名です。

 

ちなみに、彼は多くの音楽を録音しましたが、その多くは彼の死後に知られるようになったようです。

 

チャリーノの生い立ち

では、チャリーノの生い立ちについて見ていきましょう。

 

彼は、メキシコのクリアカン(Culiacán)郊外の質素な牧場で育ち、いつも暴力に囲まれていた青年でした。

 

そんなチャリーノは、31歳になり、ちょうど彼の活動が軌道に乗り始めた時に銃殺され、亡くなってしまいました。

ですが、どうしてそのようなことが起こったのか、また彼の生涯はどのようなものだったのかみていきましょう。

 

チャリーノは暴力的だった!?

まず、前提として、チャリーノは暴力的な面がありました。

 

1975年、彼が15歳の時、彼の妹は金持ちで危険な男であるチャポ・ペレス(Chapo Perez)に性的暴行をされました。

2年後の1977年、17歳のチャリーノはパーティーでこの男を見かけ、復讐のために彼を撃ち、殺害したと言われています。

 

この事件後、チャリーノが10代の頃、彼は不法に国境を越え、米国に住み着いたことが知られていますが、彼が母国を離れた動機は、自らが起こした殺人事件から逃れるためだったという説もあるほどです。

 

チャリーノの兄弟の死が彼を音楽に導いた!?

チャリーノの物語は、常に不幸と結びついているといえます。

 

1984年、彼の兄弟であるアルマンド(Armand)がホテルの部屋で銃で撃たれて殺害されているのが発見されたそうです。

しかし、彼を亡くしたことが、チャリーノが音楽の世界に足を踏み入れるきっかけとなりました。

 

ちなみに、ちょうど同じ頃、チャリーノは逮捕されたようで、彼が刑務所に収監されていた頃、バラードに残したい物語がある受刑者のために曲を作り始めたのが始まりです。

チャリーノは、面白い話を歌にするようになり、少しずつ、コリード(Corrido)の曲も作曲するようになりました。

 

彼が一命を取り留めたのが注目を集めた!?

チャリーノは1992年にコーチェラ(Coachella)コンサートでの銃撃事件で注目を得ることになります。

彼はコンサートで、誰かに発砲され、負傷しましたが、チャリーノはこれに対して撃ち返したようで、銃撃戦を繰り広げたそうです。

彼はどうやら、ほとんどいつもピストルを持ってステージに上がっていたそうです。もしかしたら、自分でも身の危険を察していたのかもしれませんね。

 

その瞬間から、チャリーノの伝説が始まると言っても過言ではありません。

 

チャリーノは2度撃たれ、1度は肺を撃たれてしまいました。

この事件で、肺に穴を開けられたにもかかわらず、11日間の入院で一命を取り留めたそうです。また、この際、正当防衛の主張により、無罪放免となりました。

 

このことから、彼の音楽はより広く聴かれるようになり、その名声はもはや地元だけでなく、メキシコ北部の都市にも届き始めていました。

この頃、彼はすでに「コリードの王様」として知られ始めていました。

 

コンサート中に奇妙なメッセージを受け取った!?

彼は一命を取り留めた後、チャリーノは、地元、クリアカンで行ったコンサートで、脅迫状のような、奇妙なメッセージが書かれた紙を受け取りました

実際に、「アルマ・エナモラーダ(Alma Enamorada)」という歌を録音したビデオには、チャリーノが歌を歌う前にメモをくしゃくしゃにする様子が映っています。

 

ですが、コンサートは中断しず、そのまま続行し、滞在中の警戒を強めることにしたそうです。

 

偽警察官の登場!?

地元でのコンサートが終わった後、チャリーノは友人や兄弟と一緒に外出し、お祝いのパーティに行く準備をしていました。

 

そこで、彼らは武装集団に止められました。

その武装集団は州警察のIDカードをチャリーノに見せ、警察官のふりをして、彼らの司令官がチャリーノに会いたいと言っていると告げ、彼に同行するように要求したそうです。

 

チャリーノの死

偽警察官と同行したチャリーノは、翌日(1992年5月16日)の朝、彼の地元である、シナロア州クリアカン市近郊の用水路で、農民たちにより発見されたようです。

チャリーノは手と足首を縛られ、目隠しをされ、後頭部を2発撃たれていたそうです。

 

考えられる死因

彼の死因としては主に2つの説があります。

当時のマフィアのボスの恋人だった女性と恋に落ちたからという説と、彼が歌っているコリードの題材が原因という説があります。

 

ナルココリードについて紹介する記事でも書きましたが、ナルココリードの歌手は常に危険と隣り合わせなことが多いので、可能性としては十分あり得ますよね。

 

まとめ

いかがでしたか?

「コリードの王様」の生涯はとても波瀾万丈で、まるでドラマかと思うぐらいたくさんの出来事があったようですね。

 

今回の記事では「コリードの王様」の紹介というよりかは、「チャリーノの壮絶な人生」について紹介してみました。

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