こんにちは、Ponmigo(ポンミーゴ)です。
このブログでは、ラテン音楽とラテンダンスについて紹介しています。
「ダンソネーテ」ってどんな音楽ジャンル?
ダンソネーテの王様って誰?
キューバの有名音楽家について知りたい!
今回は、「ダンソネーテの王様」という別名を持つキューバの音楽家アニセト・ディアス(Aniceto Díaz)ついて紹介します。
この記事を読むことで、ダンソネーテとはどんな音楽なのか、アニセト・ディアスはどんな人物なのかなど「ダンソネーテの王様」についての知識を深めることができます。
「ダンソネーテ」はどんな音楽?
ダンソネーテの王様について紹介する前に、ダンソネーテについて少し紹介しますね!
ダンソネーテ(Danzonete) とはキューバの音楽で、これはソン(Son)という音楽の要素を取り入れたダンソン(Danzón)のことです。
またこのキューバ音楽は1929年にキューバ人音楽家アニセト・ディアス(Aniceto Díaz)によって作られた音楽ジャンルでもあります。
「ダンソネーテの王様」は一体誰?
結論から言ってしまうと、ダンソネーテの王様と呼ばれているのはキューバの音楽家アニセト・ディアス(Aniceto Díaz)です。
アニセトはダンス音楽の創作者の一人であり、傑出した音楽家、作曲家、そして指揮者であると言えます。
では、キューバの音楽家アニセトについてより詳しくみていきましょう!
アニセトの経歴について紹介!
キューバの音楽家アニセトは1887年4月17日、キューバ マタンサス(Mantanzas)の音楽一家に生まれました。
彼はわずか10歳で音楽の世界に入り、マタンサスのオーケストラの楽器運びをしていました。またアニセトは仕立て屋の仕事も学んだそうです。
その後、ミゲル・フェイルデ・オーケストラ(Orquesta de Miguel Failde)の音楽家エドゥアルド・ベタンコート(Eduardo Betancourt)にオフィクレイドを学び、1902年(15歳の頃)には師匠に代わってオーケストラに数年間在籍し、働きました。
彼はフルートとピアノも学び、フルート奏者としても成功を収め始めます。
1904年、アニセトは自身のオーケストラを結成し、5月にマタンサス芸術学校のホールで初めての公演を行いました。
ダンソネーテを作った経緯
アニセトによると、1929年、外国の音楽、特にジャズやその変種、また当時流行していたセプテット(七重唱)に押され、ダンソンが退廃していたそうです。
一方で、シンプルなメロディーと一定したリズムを持った音楽「ソン(Son)」が、サロンではとても楽しまれていました。
そこでアニセトは当時、新しいダンスを構成しようとすることなく、自分がよく知っているダンソンの基礎的な音楽要素に、ソンの要素を取り入れることでそのリズムのバリエーション(ダンソネーテ)を創作しました。
アニセト本人によれば、これは新しいダンスではなく、ダンソンに対抗するものでもなく、むしろダンソンを新しくするものでした。
初のダンソネーテ「ロンピエンド・ラ・ルティーナ」
ロンピエンド・ラ・ルティーナ(Rompiendo la Rutina)と題された最初のダンソネーテはアセニトにより作曲されたものです。
彼は自身のオーケストラを設立し、この最初のダンソネーテは1929年6月8日にキューバ マタンサスのカジノ・エスパニョールでの舞踏会で初演されました。
Rompiendo la rutina の曲はこちら
アニセト・ディアスのオーケストラ
この初演以降、アニセトのオーケストラは、マタンサスのサロンや社交界で引っ張りだこでした。
同年1929年11月25日の日曜日、彼らはマタンサスのPWXラジオ局の最初の放送に出演し、その後まもなくハバナのキューバ・テレフォン(Cuban Telephone)でも演奏しました。
さらに、1920年代には、電話の設置によって流行となった「エル・テレフォノ・デ・ラルガ・ディスタンシア(El teléfono de larga distancia)」という曲名のダンソンを作曲し、大成功を収めました。
また、ダンソネーテが廃れた後(1947年)アニセトは作曲と教育に専念し、楽譜のコピーとピアノの調律を続けたそうです。
アニセトのダンソネーテは音楽界に大きな影響を与えた!
1964年7月10日、アニセトはキューバの首都ハバナで逝去しました。
彼の創作したキューバ音楽「ダンソネーテ」は、特にダンソネーテの女王と呼ばれたパウリーナ・アルバレス(Paulina Álvarez)のおかげで、音楽に素晴らしいページを残したといえます。
また、さまざまな作曲家やオーケストラの指揮者たちにも多大な影響を与えたといえます。
アニセトが作曲した数多くの作品の一部を紹介!
最後にアニセトが作曲した作品の一部を紹介しますね。
ダンソン
彼が作曲したダンソンには先ほど紹介した「エル・テレフォノ・デ・ラルガ・ディスタンシア(El teléfono de larga distancia)」も含まれています。
他には以下のような曲があります。
- ア・ラ・ボス・デ・フエゴ(A la voz de fuego)
- アル・コンパス・デ・ロス・ティンバレス(Al compás de los timbales)
- アルマ・イ・ビダ(Alma y vida)
- アロジョ・アレーナス(Arroyo Arenas)
- カンデラ・ビバ(Candela viva)
ダンソネーテ
彼はダンソンだけではなく、ダンソネーテも作曲しており、特に有名なのは先ほど紹介した「ロンピエンド・ラ・ルティーナ(Rompiendo la Rutina)」です。
他には以下のような曲があります。
- エル・トリへミーノ(El Trigémino)
- エル・ココドリロ(El cocodrilo)
- ゾーナ・フランカ(Zona franca)
- ドゥルセ・イマへン(Dulce imagen)
- エングレイダ(Engreída)
まとめ
ダンソネーテはダンソンのスタイルのひとつです。
これはアニセト・ディアス(Aniceto Díaz)という一人のキューバ人音楽家により作られた音楽です。
アニセトは「ダンソネーテの王様」とも言われており、その名の通り、彼の他の音楽家への影響、そして音楽界への影響はとてつもなく大きいものだといえます。
今では、もうあまり聴かれていないダンソネーテですが、このような歴史を知るともう一度この音楽が有名になって欲しいと願わずにはいられませんね。
以上、今回はダンソネーテの王様「アニセト・ディアス」について紹介しました。
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